センシティブな話題なので軽々しくブログに書いていいのか分かりませんが、佐渡在中とうたっているからには今年の記事として避けて通れない話題だと思うので書かせていただきました。
2024年1月1日に能登地震が発生しました。
もちろん私は佐渡におり、もっと言うと海岸にいたのでその日は帰るのを諦め開設された避難所で一夜をすごしました。
幸い私の住んでいる地域は大きな被害はなかったようですが島内でも家屋が壊れたり液状化や断水などの被害もありました。
その時の記録を書かせていただきます。
地震発生時
身バレを防ぐため嘘は書きませんが出来事や場所をあいまいにして記事を進めていくことをご了承ください。
2024年1月1日午後4時10分頃地震発生。
その時私は海岸近くにいました。天気は曇りでした。
スマホにすぐに津波警報が入り避難を開始しました。
ただ土地勘があまりないので避難所の場所がよく分からずとりあえず高台にいこうと海と逆の方向に歩き始めました。
ちなみにこの時の装備はスマホと財布と文庫本です。
避難道中
遠かった…。
道中でも何度か揺れを感じました。
側を通りかかった建物からギシギシという音がしていました。
とりあえず人々が向かう方向へついて行きました。
なんとか避難所に到着。
スマホに知り合いからの安否確認の連絡がたくさん来ましたが、バッテリーが残り少なかったので身内にだけ無事なことと避難所にいること、しばらくスマホの電源を切ることを伝えスマホの電源を切りました。これによって地震所状況が一切入ってこなくなりました。
交差点付近では信号で車が渋滞していました。
今回佐渡への津波は0.3mとのことでしたが、もし大津波が来たら移動は何が正解なんだろうと不安になりました。
テレビの情報では日本海側の津波は到達するのが早いということなので私のように徒歩で移動したら間に合わない可能性もあるはずです。
しかし渋滞に巻き込まれても逃げ遅れることも度外視できません。
避難所にて
避難所の駐車場は避難してきた車でいっぱいでした。
ただ避難所となっている建物内には思ったほど人が入ってこなかった印象があります。
駐車場は空きがないほどいっぱいだったのでおそらくみんな車の中にいたんだと思います。
その避難所では災害時は防災倉庫から毛布や水を取り寄せるそうで開場からしばらくして毛布と水、そして食糧が来ました。
一度にすべての人に行き渡ることはありませんでしたが何度かに分けて送られてきて、私はもたもたしていて最後の方でしたがあぶれることなく受け取ることができました。
停電はしていなかったのでありがたいことに避難所は電気がつき暖房も入りました。
避難所到着1時間でしんどくなってくる
自宅が遠かったのでその日は避難所に一晩泊まることにしました。
とりあえず避難所に腰を落ち着けてホッとしましたがすぐにしんどくなってきます。
まず情報がほぼ入ってこないので世間どころか佐渡島内がどうなっているのかもわからない。
自宅の状況は?津波は来たのか?来たとしたらどのくらいの浸水か?
また私はスマホの電源を落としてあったので地震の状況を検索することがかなわなかったのですが、周囲の人達の話からもあまり有益な情報は得られていないような感じでした。
分かったことといえば精々震度くらいでしょうか。
今思い返してみると当時私が欲していたのは「大した被害が出ずすぐに日常に戻れる確証」に値する情報だったように思います。
普段ネットやテレビで動かなくても情報が入ってくる生活に慣れているとこの何も情報が入ってこない状況というのは恐怖です。
己の思いあがりと無力さを痛感させられます。
さらに硬い床にお尻がしびれてくる。
不安の中何もせずに座り続けているのは本当に辛い。
しばらくぼんやりしていましたが文庫本を持っていたことに気づき読み始めました。(私は待ち時間がありそうな外出の際には必ず文庫本を持って出るようにしています)
でも不安でなかなか本に集中できなかったです。
家族で避難してきた人が多かったので他の人たちは静かに話をして過ごしていました。
夜11時を過ぎるとだんだん人が減っていきました。おそらく帰っていったのだと思います。
私は眠れなかったので避難所内を歩いていました。
深夜2時ごろ避難所内のラジオから津波警報が注意報に変わったという情報が流れたので一安心。
駐車場の車は半分くらいに減っていました。
それから朝まではうとうとしながら過ごしました。
辺りが明るくなりだしたころ避難所に残っていたいた人もみんな帰り支度を始めたので私も帰る準備をしました。
とにかく日本がどうなっているのか知りたくてテレビをつけてようやく石川県が大変なことになっているのを知りました。
その日の午前9時か10時ごろに津波警報が解除されました。
避難所で何をしたわけでもないのですがかなり疲れました。
一晩の避難所生活でさえこんな感じです。
情報が遮断されることがこんなに心細いものだとは知りませんでした。
床で寝るのは本当につらい。
家のせんべい布団さえも懐かしかったです。
佐渡島内の被害
今回の地震により島内の複数の家屋の他、妙宣寺や蓮華峰寺の建物も一部が倒壊するなどの被害がありました。
また1週間ほど水の濁りや断水のあった地域もありました。
ただ私の周辺では比較的早く元の生活に戻れたような気がします。
最後に
今回の避難時私はほぼ丸腰でした。もし長期の避難生活になったらかなり苦労するであろうことは想像に難くありません。
周囲の話でも大きな揺れの直後に津波警報の2連発に動揺し、とてもじゃないけど防災用品を持ち出す余裕はなかったというのをけっこう聞きます。
防災用品の見直の必要性も感じました。
被災した地域で避難所生活を送っていらっしゃる方の苦労は想像に絶します。
石川県は過去に仕事で関わったこともあり身近に感じる土地でした。
七尾市には長谷川等伯を観によく足を運んだのでニュースを目にするたびに辛い気持ちになりますが、それ以上に被災された方々の心労は筆舌に尽くしがたく軽率にお見舞いの言葉を申し上げることに戸惑いを感じています。
今は義援金でしか支援ができませんが今後何かの折にお手伝いができればと思っています。
一日でも早く元の生活に戻れることを心から願っています。