佐渡で寺社巡りのすすめ、長谷寺の巻

佐渡見どころ

この記事では佐渡で寺社巡りをしてみたいけどどこに行こうか悩んでいる人の参考になればと思い書きました。
長谷寺は佐渡有数の古刹の一つです。
山の斜面に開かれた伽藍、緑に見え隠れする石段、三百年前に建った観音堂、樹齢四百年の大杉、まさに古刹と呼ぶに相応しい名所です。
世阿弥や日蓮聖人も立ち寄ったというこの長谷寺、ぜひ佐渡に訪れた際には訪れてほしい場所です。

長谷寺の魅力

山門からのぞく新緑、苔むす石段、彼方にそびえる観音堂、立ち上がる大杉。とにかく緑が美しいです。
山門付近は日がよく当たり石段に木漏れ日が穏やかに揺れますが、段を上がっていくにつれて高く立ち上がる杉が日を翳らせ辺りに緊張感が増していきます。
そして現れる観音堂を下から見上げることになるのですがその荘厳さに圧倒されます。
お寺のよくある設計として本堂までの参道を長くとったり、途中に灯篭や石を置きちょっと足を止めさせるようなことをします。
これは参拝者の気持ちを少しずつ世俗から隔離して清らかな気持ちで参拝できるようにすることを目的としているようです。
長谷寺の観音堂までの石段には、この参拝の心理がうまく作用しているように思うのです。

長谷寺の概要

畑野市街地を外れた山中にある真言宗豊山派の長谷寺。歴史は古く807年に弘法大師による開基と伝えられています。
長谷寺はその名の通り奈良の長谷寺の伽藍を模したようで石段の両側には牡丹が植えられ、本堂から観音堂をつなぐ回廊もあります。
山の傾斜に立つ伽藍になっており、山門から入り石の階段を上がっていくと途中に本堂や庫裡があります。そして一番上には観音堂、更にもっと行くと五智堂が控えています。
江戸時代中期の建築が多くありますが、身代わり地蔵や大地蔵など石仏も見どころです。
階段は蹴上が低く所々に踊り場がありますが、踏面が狭いのと全体的に急なので体力のない方はゆっくり登ったほうがいいです。
また駐車場がいくつかあり、庫裡に近い駐車場からなら参道の中腹に出ることができます。

ほとんどの建物が国登録有形文化財です

仁王門、本堂、庫裡、観音堂、宝蔵、経堂、廻廊、護摩堂、社務所、蔵等…ほぼ全部ですね。
江戸時代中期以降の建物が多いです。

県内では珍しい多宝塔・五智堂

五智堂は多宝塔です。新潟県の文化財リストをざっと見てみましたが多宝堂はこの五智堂の他には三条市の本成寺多宝塔があるくらいで県内では珍しいのではないでしょうか。(他にもあったらすみません)
多宝塔とは下重(1階部分)が四角、上重(2階部分)が円形の平面を持っており、各層に方形の屋根を持つ塔です。塔には軒を支えるために斗栱があるのですが(屋根の下にある積み木みたいな物です)、円形の胴から突き出る斗栱のエグさよ…。

もちろん多宝塔の建築には相当の技術が必要で、宮大工の松浦昭次さんは著書の中で“「一人で多宝塔ができたら宮大工も一人前」そんなふうにいわれることもあるほどです。”(宮大工と歩く千年の古寺/祥伝社)と書いています。
松浦さんは多くの国宝や重文建築の保存修理を手掛けてきた方です。
五智堂も腕の立つ大工が建てたのでしょうね。
多宝塔というのは基本的に下重の柱間は3つ(方三間)で、これが5つ(方五間)になり内部に円形の柱列を持つものを大塔と言います。
五智堂は方三間ですが下重内部で8本の円柱が本尊の五智仏を囲んでいます。
佐渡市のサイトではこれを“内陣の円形平面に大塔形式を踏襲している”と書いています。
砕いて言うと五智堂は大きさは多宝塔だけど大塔の形式を模しているってところでしょうか。
応用力にも長けた大工だったようです。

国指定文化財もあるよ

所蔵している三体の十一面観音が国指定文化財に指定されています。
しかしそれらは秘仏のため三十三年に一回の公開で、次回公開の2034年まで見ることはできません。
この他にもう一体の十一面観音を所蔵していて、こちらは県指定文化財になっています。
いずれも榧(カヤ)材一本から彫られています。

森林総合研究所植物社会学ルルベデータベースで榧の分布を調べると新潟県内は佐渡に分布の印がついています。
長谷寺の十一面観音像は島内の榧から彫ったのかな。
もしそうだったら仏師は島民だったのかな。そんな想像をするのが楽しいです。
島内の情報誌にお面などの木彫をされている方がインタビューされていたのですが、その方も島内でとった榧から彫ることもあるということをおっしゃっていてなんだか感激しました。

世阿弥も来たよ

世阿弥は日本史の中でもスゴい人として興味深く思っているので、これは私の中ではそこそこの推しポイントです。
日本芸能史並びに日本文芸史きってのレジェンド世阿弥陀仏も佐渡配流の際に長谷寺へ立ち寄っています。それについては世阿弥著作の「金島書」に記述があります。
長谷寺は世阿弥が佐渡に降り立った多田の港から配所地である新保への道中にあるため、佐渡に着いた翌日に参拝したようです。
私は長谷寺に来る度に世阿弥もこの景色見たんだなあと感慨に耽り、吸ったであろう境内の空気をスーハーしながら彼の幻影を視ます。

ちなみに知らない方のために書きますと、世阿弥とは室町時代に活躍した能役者です。
「初心忘るべからず」を初めに説いた人でもあります。
演者としてはもちろん作家としても優れており、今日まで彼の書いた曲が多く残っています。
その才能と権力者の寵愛(もっと言うと見てくれも良かった)によってもちろん時代の寵児となるわけですが、そんな彼を裏切るのもまた時代。
権力者の代替わりによって冷遇の憂き目に遭い、最終的には佐渡への流刑に処されます。
類稀なるその才能も彼を助けられはしなかった、のかもしれないけど天才の偉業は消えないんですよね、何百年経っても。
著書である「風姿花伝」や「花鏡」は長らく秘伝の書としてひっそりと伝えられてきましたが明治時代に世に知られて以来、今では能楽師以外にも多くの人に読まれています。
世阿弥というレジェンドの、誰にも教えたくない本気もんの芸の手引き書が読めるなんて…すごい時代になった。
世阿弥にとどまらず歴史上のすごい大発見はこの先まだまだあるんだろうな。
関係ないけど私は「湯女図」に存在すると考えられている対のもう一幅が、本当にあるのならば生きているうちに見てみたい。

長谷寺のアクセス

真言宗豊山派北豊山 長谷寺